八日町コラム その1 梅干し

五月のある日 町内のおばさんの声をかけられ立ち止まった。
「今から、梅を採りに行くさ。梅干しをつくるさ。」
「いいですね。」
「作ってみるかい?」続けるその明るい問いかけについ、
「ええ、やってみたいですね。」
「一から全部教えるから、来年は一緒にやろう」
と約束して別れた。
それから2か月後。
町内会の帰り道、梅干しが出来たよ、と手渡された。
私が礼を言うのも聞き流しながら、いそいそとおばさんは帰っていった。

塩としそだけでつけたその梅干しをつまみながら、祖母を懐かしく思い出した。
祖母もまた、梅干しが好きであった。
晩年にはこの時期になるとよく梅干しの歌を聞かせてくれた。

『二月三月花ざかり
鶯鳴いた春の日の
楽しい時も夢のうち
五月六月実がなれば
枝からふるい落とされて
近所の町に持ち出され
何升何合のはかり売り
もとよりすっぱいこのからだ
塩につかってからくなり、
しそに染まって赤くなり、
七月八月暑いころ
三日三晩の土用干し
思えばつらいことばかり
それも世のため、ひとのため
しわが寄っても若い気で
小さい君らの仲間入り
運動会にもついていく
いくさと聞いたその時は
いさむ兵士のお供して
御国に尽くすこの私』

梅雨があけ、夏の土用の時期、三日三晩、天日に干すと皮が柔らかくなり、美味しくなるそうだ。
こんなにも手間ひまかけて美味しい梅干しが出来るんだよと祖母はしわを一層深めて笑っていたのを思い出す。
日本人の誇りにできる梅干しは昔からその手法は変わることなく受け継がれてきている。
確かに今は店に行けば何でも手に入る時代になった。
しかしこうしておばさんたちが丹精込めて作ったものには心遣いという目に見えない素敵な味わいが加わる。
私は博物館の作業もささやかな思い入れの積み重ねのように思える。
手間ひまかけることでその作品の完成度が増し、一層見応えあるものにすることが出来る。
デジタルな感覚に流されず、地道な活動を続けていきたい。